失敗は問題ではなく、問題なのは。。。

お子様が、何かに失敗したとき

あるいは

職場で、部下や同僚が失敗したとき

どんな対応をしますか?

 

アドラーは、こう言っています。

問題なのは、失敗そのものではなく

失敗したことにより、「自分にはできない。」と

自分を過小評価する心理的な失敗こそが、重要である。

 

 

先日、こんなお話をお聞きする機会がありました。

 

不登校になってしまった娘さん。

家に引きこもっている間は、ずっとパソコンに向かって

過ごしていたそうです。

 

はじめは、ゲームだったり、YOUTUBEを見ることを

単に楽しむことがきっかけだったかもしれません。

 

でも、そんな時間を過ごしながら

娘さんは、学校に行かない時間を、自分の興味あるITの勉強に時間を費やそう!

と決めました。

 

1日じゅう家にいるわけなので、時間にしたら、ものすごい量の時間です。

 

お母さんは、娘さんが学校にいけてない状況に

もちろん、不安もありました。

 

でも、それを責めたり、叱ったりせず

娘さんの気持ちを尊重し、共感し、信頼して

一緒に考えながら、娘ちゃんを見守りました。

 

そして、娘ちゃんは、数年後に

圧倒的に高いITスキルを身につけました。

 

今はもう成人したその娘さんは、その圧倒的に高いITスキルを武器に

ITのベンチャー企業で、重要な役職も与えられて楽しく働いているそうです。

 

 

学校に通えない、とか、不登校というのは

もしかすると「失敗」という見方をしてしまうことも、多いかもしれません。

 

でも、実際は

学校にいけない or 学校に行かない

という事実があるだけです。

 

コンスタントに公立校に3年間通う、という

一般的には、多くの子が選択するルートは

選択しなかっただけ、ともいえると思います。

 

フリースクールや、定時制高校もありますしね。

(ここでは、不登校の子どもが、学校へ行かないことへの賛否ではなく、あくまで、「失敗」の捉え方、ものごとの捉え方として取り上げています)

 

この娘さんも、お母さんも

不登校を「失敗」とは捉えていませんでした。

 

それは一時的なものであって、その後の人生までも失敗になる

とまでは思っていませんでした。

(そう思えるお母さんも、ステキですね)

 

お母さんは「学校に行っていない」という

たった一つの経験だけで、「ダメな子」というように

娘ちゃんを過小評価しませんでした

 

それによって、もちろん、娘さん自身も

自分を必要以上に過小評価せずにすみ、

それが、次の未来への行動にもつながったのだと思います。

 

体験そのものが、未来を決めるのではなく

「意味づけ」が その後の勇気の量を決めて

未来の行動を決めていく。

 

失敗という「体験」は、問題でも、それが未来を決めるのでもありません。

その体験への「意味づけ」が勇気の量を決め、未来の行動を決める。

 

つまり、

失敗という「体験」をした時に

勇気をくじかれることの方が重要な問題なのです。

 

ですから

・冷蔵庫から牛乳を出して、自分でコップに注いで飲もうとしたけれどこぼしてしまった時。

・運動会の徒競走で、転んでしまってビリになってしまった時。

・忘れ物をしてしまった時。

・受験や検定で、不合格になってしまった時。

・多くのみんなは泳げたけど、自分は数メートルしか泳げなかった時。

などなど

 

そんな、毎日の大なり、小なりの失敗の場面で

親がどんな言葉をかけているか?がとても大切になってきます。

 

そんな「ひとつ一つの経験 → かけられた言葉」の積み重ねから、

子どもの中に「自分を過小評価しない思考」が作られて

それが、人生の中で出会う困難を乗り越えていく力(=勇気)につながるのですから。

 

もし、「今まで、勇気をくじくような対応をしてきてしまったかも。。。」

という方がいても、大丈夫ですよ♡

 

子育てや人生に、遅いということはありません。

いつからだって

今、ここからどうしていくか?

今、そのために何をするか?  

を考えていけばいいのですから^^